2006-10-25 第165回国会 衆議院 国土交通委員会 第3号
特に、激甚災害を受けた河川につきましては、捷水路の整備や被災前後区間の改良工事などの改良復旧を施設復旧と一体的に実施して、効率的な河川整備に努めてまいる所存でございます。 以上でございます。
特に、激甚災害を受けた河川につきましては、捷水路の整備や被災前後区間の改良工事などの改良復旧を施設復旧と一体的に実施して、効率的な河川整備に努めてまいる所存でございます。 以上でございます。
その後の浸水被害に対しても、被害が著しい箇所については、菱刈捷水路、湯之尾捷水路の建設、中流山間地の築堤等の河川改修を鋭意進め、着実に治水安全度の向上を図ってきたところであります。 今回の梅雨前線豪雨は地域分布も含めて異常な降雨であったため、今回これも含めて、上下流、本支川、バランスを見直し、早急に計画を策定し、整備の推進を図ってまいります。
川内川では、これまで上流、中流、下流の安全度バランスを考慮しながら、川内市街地の改修あるいは中流山間地の築堤あるいは中流部の鶴田ダムの築造、菱刈捷水路あるいは湯之尾捷水路の建設など、鋭意河川改修を進めてきたところでございまして、着実に治水安全度の向上が図られているというふうに考えてございます。
川内川では、これまで川内市市街部の改修、中流山間地の築堤、鶴田ダムの建造、菱刈捷水路、湯之尾捷水路の建設など、鋭意河川改修を進めてきたところでございますが、今回のような記録的な出水で各地に甚大な被害が発生したと認識してございます。 また、米ノ津川、二級河川でございますが、昭和二十四年のデラ台風による水害を契機に河川改修が完了しているものの、甚大なはんらん被害が発生いたしました。
また、上流部で一部洪水流下のネックとなるような菱刈町というようなところがございますが、そこに湯之尾という地先で昭和六十一年度から湯之尾捷水路事業というものに着手してございまして、現在鋭意これも促進を進めております。
○豊田(高)政府委員 川内川の河川改修事業につきましては、現在、市街地部と上流の菱刈町地内の捷水路などを重点的に改修を進めておるところでございます。先生御指摘のとおり、川内市を中心といたしました川内地方の拠点都市というものが指定されまして、アクションプログラム等もお決めになっておるわけでございます。
なお、抜本的な対策でございますが、御存じのように、これは湯之尾温泉街の裏を通ります湯之尾捷水路というものを計画しておりまして、五十九年度、六十年度と測量、六十年度には地質調査等を考えておりますので、その具体化を早く図らなければいけないというふうに考えておるわけでございます。
湯之尾の温泉街を中心といたします一帯の抜本的な治水対策は、ただいま先生が御指摘ございましたように、湯之尾ぜきをつくりますことと、温泉の裏側を通ります捷水路、両方を完成させましてほぼ完全な効果が出るということになっておるわけでございますが、そのうちの湯之尾ぜきは、昨年の出水では、完成をいたしておりましたので、せきがありましたことによって、せきのない時代に比べますと、被害が出ました温泉街でも一メーター五十
湯之尾の可動ぜきと申しますものは、あれと将来行われます湯之尾温泉を避けます捷水路、ショートカット、これが一組になりましてあの地区の河川改修計画が完成するわけでございますので、せきそのものはできましたのですが、河道全体でとらえますと改修途上ということでございますので、現在工事中の操作規則案を手元に持ちまして操作をいたしております。
これも先生お話しございましたように、五十三年六月の洪水によりまして——実は従来から中小河川改修で捷水路工事をやっておったわけでございますが、これにつきましても、六月の洪水を契機にいたしまして、激特事業というもので、これは実は五十三年度は全国で災害がわりあい少のうございまして、全国で激特事業を採択いたしましたのは四件でございますが、そのうち一件でございます。
それで、いまお話のありました捷水路事業を先にすべきかあるいはポンプを先にすべきかという問題でございます。先ほど先生おっしゃいましたように、建設省としましてはこの内水の被害を防ぐために、すでに昭和二十一年から中小河川で改修しまして、一応一期計画が昭和三十六年に完成しております。これは河道改修とポンプの設置ということでございます。
それから、あと農地の泥流被害防止といたしまして、一ノ沢、二ノ沢、三ノ沢のこの下の部分に捷水路四百メートルを新設をして、そこで受けとめて、あと先ほどの開削をいたしましたところから流していくということで対応をしてまいるということを、農業施設災害復旧事業として着工いたしまして、農地の復旧と合わせまして早期に完了をするよう指導してまいりたいというふうに考えております。
○黒田(晃)政府委員 いまの大曲の右岸の問題でございますが、これは堤防をつくるといういわゆる築堤方式じゃなしに、月形の捷水路をつくりましたときの土砂をここに盛り上げた、それが現在堤防のような形になっておるわけでございます。そういうようなことでございまして、当時どれだけの高さになっていたかということは現在私どももわからないわけでございます。
そこで四十二年に特にこういう傾斜地にあります農地につきまして十分調査をすると同時に、捷水路、排水路、あるいは土どめ工というような、そういう保全対策を十分に危険なところから急速にやるということで予算措置もとっておるわけでございます。
災害復旧、災害関連事業を含めまして改良復旧をやる場合に、現在の河川のとおりに護岸をやるのではなくて、相当の用地買収を行ない、ショートカット、捷水路をつくるとかそういうことを行なうわけでございます。そういうことで、改良復旧を行なう場合にまず用地の問題、用地交渉、いろいろございます。
昭和六年から直轄事業として川内における計画高水流量を三千五百立方メーター毎秒とし、薩摩郡東郷町から河口までの区間及び隈之城川、平佐川の下流区間について築堤、掘削、護岸等を施工し、その後、昭和十八年九月の洪水により、二十三年から下殿における計画高水流量を三千百立方メーター毎秒とし、本川上流の飯野町から下流の大口市までの区間及び池島川、長江川、羽月川等の主要な区域について築堤、掘削、護岸等を施工し、菱刈捷水路
もともと上流の河川なり捷水路なり水田にホテイアオイは発生をしておりますが、その芽が下ってまいりまして、児島湾で爆発的に繁茂するというような形になったように思っております。
なお、これは昨年の梅雨前線豪雨によりまして、いま御説明ございましたような非常に危険な状態になっておりますが、これはいわゆる農業用施設災害復旧事業といたしまして、必要な捷水路、排水路、くい打ち工というような復旧工事をやっておりまして、これは十一月二十五日に着工したものでございますが、本年度内に完了する予定になっております。
各五カ年計画の中で完成をいたしましたおもなものを申し上げますと、第一次五カ年計画におきまして、直轄河川の完成の中で主たる工事を申し上げますと、常陸利根川におきます常陸川水門、利根川上流の田中菅生の調節池の工事、それから淀川水系でございますが、瀬田川の洗いぜきの改造の工事、筑後川の島内可動ぜきの工事並びに石狩川の和捷水路の工事、こういったものが河川のおもなものでございます。
その大災害にかんがみまして、昭和三十一年度から直轄河川として改修工事に着手して現在に至っておるわけでございまして、四十五年度までで約五十九億五千万円を投資いたしまして、お話のように、主として下流部の小島捷水路等を中心にして概成をしまして、洪水の疎通能力を増大をするのだということで進めてきたわけでございます。
これに対していわゆる捷水路、ショートカットをして、なるべく水の流れをよくすべきかどうかということでございます。 これは、地形とその地域の産業の立地条件を考えてこれを決定しなければならぬと思います。捷水路をつくったために水のはけはよくなったけれども、それに伴う農業その他に相当大きな影響を与えるということも考えられます。そのほうがいいのか。
それから左岸側に堤防を引きまして、そこに捷水路を掘りまして、それでもって水位を下げて、一応本年の今回の洪水の程度のものは必ず防げるというような設計をいたしております。